アニメ「のだめカンタービレ」

spirit272007-01-14

漫画が動きを得たが故に矮小化してしまう皮肉。
委ねられた行間は想像の力で無限の広がりを持つが、原作近似値である絵が動きを持ったとたんに、目の前の現象が抗えぬ結果となって突きつけられる。
原作に忠実でありすぎた事が、却って逆効果になってしまった。
 
ドラマ版があまりにも漫画を具現化してしまった弊害とも言えるだろう。
ドラえもん等のカリカチュアライズされたものではなく、人間キャラクターが描かれる作品は、生きた人間を二次元に簡略化していると言える。
つまり一人の人件費で簡便に、紙の上に定着させた「映画」の代用品なのだ。
ドラマ「のだめカンタービレ」は、フリーズドライされたカップ麺が湯気を立てて"ラーメン"としての姿を表したが如く、本来あるべき理想の姿を我々に見せたのだ。
漫画を読み、止め絵であるのだめや千秋の動きの行間を想像する時、脳内で漫画の絵のままなのはある意味、非常に高度で特異な文化だと思う。
歌舞伎のように、お約束の上に成り立っている鑑賞方法なのだ。
現実の人間を二次元に置き換えた状態で、それを生きていると認識していなければ、出来ない。
今までのアニメは、その認識の延長上にあった。だからこそ、"想像"内ではなく現実に「動画」として動いている絵に命を感じられたのだ。
だが、幼年期は終わった。オーバーロードが現れてしまったから。
 
僕は「漫画のアニメ化」が分水嶺を見たと思う。
現在、"漫画"と言われているものの殆どは"人間"を絵にしている。だとすれば、ドラマ「のだめカンタービレ」の方法論で作ればすべてドラマ化出来るし、その方が原作をリスペクト出来る。
アニメはアニメでしか出来ない表現方法に回帰して行って欲しい。カートゥーンに。
手段はCGアニメになっても、トム&ジェリーは人間には演じられないのだから。