日本沈没

1973年版はリアルタイムで観た。原作も図書館で借りて読んだ。小学生が一般書架のカッパノベルスを、である。実は相当に思い入れがあるのだ。
小林桂樹と言う役者を知ったのも73年版であり、田所教授は僕の中では小林桂樹以外は考えられない程の嵌り役だった。
それは、実質的に田所が73年版の主役だったからに他ならない。
日本人の中で唯一"日本沈没"に気づき、それを訴え、未曾有の危機に警鐘を鳴らす。突拍子もないと信じぬ政治家達に食ってかかるその目。答えは見えているのに式を提示出来ない、結末が明白なのに証拠が無い、その葛藤。日本の末路を見いだしてしまった者として、一人の日本人として、沈み行く日本と運命を共にする、火山灰で真っ白になった顔…。
田所が「日本人の日本への想い」を昇華する事によって、映画に太い竜骨が通ったのである。

さて、観る前は期待と不安が乱泥流のように渦巻いたリメイク版である。樋口監督も前作が好きでしょうが、僕だって並々ならぬ程にトラウマなのだ。
"わだつみ"のデザインは今でもグッドだと思っている。(TV版は"わだつみ"よりも"ケルマディック"の方が好きだったがw)
だがしかし、乱泥流は吹き飛ばされた。
圧倒的な太平洋プレートの力に引きずり込まれ、奇跡は起きなかったのである。
 
まず冒頭。大地震直後の沼津といういきなりの状況が既に前提。AVで言えばいきなり顔射直後から始まるようなものだ。
事前の描写が無い上に何の説明もなく、地震に巻き込まれたらしい主人公・小野寺(草なぎツヨポン)がそこに居る。流出したガソリンの傍に少女が彷徨っている。小野寺は少女を助けようとするが、余震に襲われ、倒れた電柱のスパークによって引火、大爆発が起こる。僕はここで「ああ、ここで少女を助けられなかった事がトラウマになって小野寺はD2計画(原作&73年版参照)に身を投じるのか」と思った。が、そこへハイパーレスキューのヘリが颯爽と登場、レスキュー隊員のヒロイン・阿部玲子(柴崎コウ)が少女を救出。かくしてメインキャラが初めて顔を合わせる。
…それだけなのだ。ただ画面上にその三人を登場させただけ。地震も美術設定以上の役割は無く、登場人物同士の会話もない。
ラブストーリーにしたいのならば、ここで"ワースト・コンタクト"をさせるべきだったと思う。女だてらにレスキュー隊員、会話のトリガーには充分だ。鉄火肌を揶揄する小野寺、反発する玲子。それだけでも感情移入は出来た筈なのだ。会話の中に人物のバックボーンを匂わせる事だって。
ただ、『こういう画が撮りたい』と言う意図は120%具現化されていたと思う。
 
で、場面は何の関連もなく見える学会報告へ。補完すれば、アバンタイトル地震の件があって政府に危機感が生まれその結果、となるのだろうが、そんな説明は一切ない。
そしてあろう事か、ここであっさりと『日本は沈没します』と宣言されてしまうのだ!
それは何十年という未来の話としてなのだが、これでは"日本沈没"を作る意味が無くなってしまう。日本列島周辺に数々の異常現象が起き、それが日本沈没の前兆だと唯一見抜く田所の根本が消えてしまう。『日本列島が沈むなんてwww』と誰一人真に受けない状況から孤軍奮闘する田所、彼に引っ張られて高まっていく"日本沈没"への危機感と絶望感。その中から生まれ出て来る"一人でも多くの日本人を救う"ドラマが<日本沈没>なのに。
僕はここで気がつくべきだったのだ。この映画は<日本沈没>ではなく、<ニッポンアルマゲドンだと。
そうすれば、日本が沈むとわかっているのに海底調査をする田所や、それがあと一年足らずで起こってしまうと判明した時の田所のキレ具合に違和感を覚えなかっただろう。
 
そして玲子は小野寺のもとを訪れ、二人は再会する。キャラクター設定をセリフで説明し合い、どうやらそれで恋に落ちたらしい。
これはこの映画に限らずなのだが、"シーンの積み重ねの中で言動からキャラクターを描写する"ようになっていないものを屡々目にする。
この映画に限れば、小野寺の親友である潜水艇パイロット・結城(及川ミッチー)も唐突に妻子持ちであると強調され、そして死ぬ。
そう言えば総理大臣も、長々と日本の行く末についての心配を吐露し、また、『明日が孫の誕生日』と言わされた長いシーンの直後に、死ぬ。
そうか、これが"死亡フラグ"と言う奴か!
 
さて、日本各地は地震と噴火、津波地殻変動で続々と犠牲者が増えて行く。国民達は自衛隊や民間輸送で次々と避難している。いるのだが、緊迫感が伝わってこない。
これはもしや、ゴジラに逐われ大八車を引いて逃げまどう人々へのオマージュなのか?
 
田所の計算により、海底にいくつもマントルまで達する穴を掘ってN2爆薬を誘爆させれば、そこから日本の下に溜まったエネルギーがガス抜きされて沈没は止まると判明。
D1計画から外れた小野寺の代わりに結城が"わだつみ6500"を操縦し、起爆用のN2爆弾を投下に行く。が、そこに乱泥流!ここでか乱泥流!
嗚呼、わだつみ6500はあえなく撃沈、もう予備が無いN2爆弾は海底に残されてしまう。
そして田所は結城の遺品を小野寺に託しに来る。曰く、『酷い乱泥流の中で無理をさせた。俺の責任だ!』と怒りに任せて器物を蹴り飛ばす。君の親友は俺の管理ミスで事故った、殺したのは俺だ!と告白した田所に、小野寺は怒る事もせず、二の句でのたまう。『日本はどうなるんですか?』
物語のテンションは人間の感情が昂揚しなければ上がらない。登場人物はお話を先へ進ませるだけに居るのではないのだが。
そして小野寺は、展示物と化していた旧型の"わだつみ2000"で潜り、N2爆弾を拾って起爆させる決意をするのだ。
メカ燃え度の低い展開である。ここはベタでもいいから、旧式な2000と最新式6500の運用端境期という状況にしておいて、日本の深海潜行を切り開いた2000に愛着を持つ老エンジニアと整備チームは必須でしょう!『3800m?べらんめぇ、設計限界深度が何でぇ!完璧に補強してやる、俺達のわだつみ2000を絶対に潰さねぇ。奇跡は起きる、起こしてみせる!
それでこそ3800mへ潜る"熱さ"が生まれるというものだ!だがそんな人達は影も形もなく、小野寺は一人せっせとわだつみ2000を修理する。そしてアッサリと『設計限界深度を超えます』の一言でその大きな壁を越えてしまうのだ。
 
特攻の決意を固めた小野寺は玲子に会いに行く。玲子とお互いの気持ちを確認し合い、抱擁。『抱いて』と玲子に甘く囁かれた小野寺は、何でか知らないがさめざめと泣く。"再会の願掛け"の為に今は我慢!みたいな印象だが、小野寺は既に片道キップの深海行きを決意してるので、据え膳食わぬ気持ちが不可解。もしや童貞なのか?
 
いよいよクライマックス。しかし何故最初から特攻が前提なのだろう?一応でも帰還プランがある中で、現場のアクシデントにより特攻する他に術が無い、という状況にした方が燃えるし悲しみも盛り上げられると思うのだが。
 
わだつみ2000が潜り始めると、下に何故か沈んだ日本の町並みが。あれ、ここは太平洋沖ではないのか?一体何なんだ?
一緒に観た友人に後で聞いた。「ああ、あれはエヴァの一話に同じ画があったよ」…
わだつみの潜行シーンはカッコ良かった。ライトの逆光で輪郭が薄く見える描写とか、バラスト全部捨てて急浮上、急制動をかけて掘削基部に激突する所とか。
 
…ふぅ。流石にひとかたならぬ思い入れがある日本沈没、かなり色々と吐き出してしまった(_ _;)
 
見終わって感じたが、さよならジュピターになってしまったな、と。
さよならジュピターの原作を読むと、基本プロットが日本沈没と同じ展開だとわかる。本来は日本沈没で描きたかった「国土を失った民の姿」を描きたいのだな、と感じる。
日本沈没の原作&73年版は、「日本を沈める」事で疾走しきってハンガーノックになってしまい、その後を描けなかった。
さよならジュピターは「国土」である地球が最終的に救われてしまうので、やはりその先は描かれない。
そして06年版日本沈没は、そのさよならジュピターと同じ展開になっている。
06年版のカメオ出演には是非、三浦友和も加えて欲しかった。
 
↓のblogが上手くこの映画を評している。
http://noraneko22.blog29.fc2.com/blog-entry-76.html
 
実は映画より先にSMAP×SMAPで、草なぎ君が頭にわだつみの被り物をして水槽に潜ると言うコントを観てしまったので、真っ先にその場面が浮かんでしまい振り払うのに苦労したw