スターウォーズ エピソード3

はっきり言って、エピソード1〜3は作る必要がなかった。多くの観客がSWに期待しているのは"冒険活劇"であって、"ダース・ベイダーが出来るまで"ではない。エピソード4が始まるまでの裏設定を、膨大な時間と金をかけて具体化しただけでしかない。ダース・ベイダーとか、ジェダイとか、フォースと言う"設定"は一本の映画としてのエピソード4を構築するためのスパイスだからピリッと効いていた。そのスパイスを、種を植えて木に育って実を付けて、摘み取って粉に挽くまでの過程に延々と付き合わされたのだ。
 
で、EP3単体が映画として面白かったかと言うと、否である。
主人公がダークサイドに落ちていく物語には当然ながら何の救いもない。救いのない物語が楽しい筈がない。かと言って、悲劇的な感動も無い。悲劇的側面を"セリフと設定で誤魔化した"だけだ。
己が愛する者を救いたいが為に世界を絶望に陥れるが、その行為の代償として愛する者を失うと言う因果応報の構成にしては、その葛藤が伝わって来ない。
これは、各シーンが圧倒的なCGとアクションを見せたいが為に無駄に長く、感情がブツ切れになってしまう所為だろう。
もっと短く出来る。映画は"省略の芸術"なのだから。短くすれば感情が畳み込め、キャラクター達の苦悩もより伝わっただろう。
それから、何でもCGで動かせるものだから、宇宙戦闘のシーン等はあらゆるメカが細かく動きまわり過ぎてうるさい。どこを見ればいいのかわからなくなってしまう。
 
最後で様々な設定をエピソード4に繋げるのだが、それがセリフ説明だけだったりとちょっと無理矢理な部分も辛い。
この映画のラストシーンが、エピソード4の冒頭のスター・デストロイヤー登場の画になっていたら溜飲も下がったのだけれど…。
もしかしたらEP1〜3もインディ・ジョーンズのようにスピルバーグが撮ったら、映画としてもっと楽しめたのではあるまいか。
 
メカのデザインはEP1からの全くのダメダメぶりがそのままで、魅力がない。EP4〜6の、シンプルで、予想もつかないモチーフをベースにした、それでいて機能美を醸し出していた"遊び心"が無い。
 
ユアン・マクレガーが老けメイクで、アレック・ギネスのオビ・ワンに印象を近付けていたのは良かった。
ナタリー・ポートマンが一作毎に若さを失って行くのがちと辛かった。それを実感した時、僕はナタリー・ポートマンが好きだったのだと改めて気が付いた。
そして坂本真綾の吹き替えがイイ。他の映画でも持ち役にして欲しいな。
ダース・ベイダーの声が、ほんの2,3言なのに大平透だったのには感動した。
 
そんなこんなで、エピソード4初公開から20数年をかけて完結したスターウォーズ・サーガ。
おつかれさまでした!