尼崎電車脱線事故

亡くなった多くの方々に合掌。この世の時間は真っ暗闇の中を突き進んでいて、日常の一寸先に何が起こるかなんて本当にわからない。突然に不可避の死が人生を絶つなんて、誰が想像しながら生きているだろう?その偶然に遭遇してしまった人達とその周囲の人々を思うと、言葉もない。いや、ただの野次馬である僕らが何かを言える筈もないのだ。ただ、明日の自分がその「偶然」に選ばれる可能性があるにもかかわらず、「自分にだけは起こらない」と誰もが思う。それよりも今自分の抱えている些末な心配の方が、個人にとっては遙かに重要なのだから。
個は直列、公は並列。それが人間が生きていくという事なのだろうか。
今回、必死の救助活動をしたレスキューの人達。助けられない命をいくつも目の当たりにしなければならない彼らの無念さはいかばかりか。それにも増して、自分の周りでいくつもの命が消えていく中で救助を待つ要救助者の人達の恐怖感は筆舌に尽くせまい。
現実では100%の救助など有り得ないと解っている。だからこそ、「め組の大吾」や「サンダーバード」等のフィクションに於いて、「絶対に助ける、助かる」ことを描きたくなる。命は儚く、だからこそ尊いものだから。
軽々しく「死」を口にするのは罪深い。ましてや無造作に人の命を奪う事など許せない。他人の命であれ、自らの命であれ。
たとえ今、心辛く悶え続けていても、それは命あるからこそ感じる「幸せな痛み」であることを忘れてはいけないのだ。
以上、今回の事故で感じた事を徒然なるままに。